玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


熊本地震

  1. 2016/04/27(水) 10:49:51|
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 規模も違えば、地理的な条件も違う、東日本大震災と比較することは出来ないが、それでも、気持ちの中では、記憶メーターが動き始める。あの時と比べれば、炊き出しも早く始まった。近隣のスーパーがもう営業を始めた。鉄道や空路も再開された。ただただ、良かった、良かったと思う。

 ボランティアが動き始め、支援物資が分配され始め、連休あけには学校も再開されるようだ、みなし仮設の準備も始まっていると聞く。そうか、そうかと、いちいちニュースに頷いてしまう。

傷ついた大地も、潰され、壊れた家も元には戻せない。余震の続く中で、現実と向き合うことの苦しさ、何より大切な日常を奪われたことの苦しさは、経験をした私たちの想像をも超えるものだと思う。

祈りの気持ちを、持ち続けたいと思う。「人々の心にこの災禍と戦う力が宿りますように。」





祈りの心

  1. 2016/04/20(水) 08:48:25|
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 熊本地震から一週間。テレビや新聞の報道を見るにつけ、深くなるのは被災者の皆さまへのお見舞いの心、そして地震の終息を願う祈りの心である。

 思いだされる5年前、東日本大震災後のこと。みんなが寒く、みんなが苦しかった日々。余震の怖さ、信じがたい目の前の光景。黙々と救助活動をして下さった方がたへの言葉にならない感謝の思い。

 現地では、捜索が続けられ、炊き出しが始まっている。きっと5年前のあの時と同じように、疲れたとも、苦しいとも口に出さず、しびれて感覚のなくなる手で、おにぎりを握り続けている人がそこにいて下さる。休むこともできない厳しい状況の中で、命を守り命をつなごうとする、医療従事者たちが奮闘を続けておられる。

 今自分に出来ることを、深く考えよう。今こそ、経験を力に変えなければ、と思う。


夜中の桜

  1. 2016/04/13(水) 09:32:11|
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 コンビニのすぐ近くに、大きな大きな桜の樹があった。お昼間、病院の窓から見下ろした時は、その大きさより、あぁ満開なのだと、思ったくらいだったが、夜更けて街灯のあかりに照らされたその桜を見上げた時、桜は神々しさに溢れ、首を垂れずにはいられない気持ちにさえなった。

そういえば、お花見は古の神事に由来すると聞く。サクラのサには田の神という意味があり、クラは神座(かみくら)つまりは神様のいる場所という意味があり、桜の樹には山から下りてくる神様がとどまると考えられていた。人々は満開の桜を稲の花に見立て、秋の豊かな実りを祈った。お花見は神様をお迎えし、料理や酒でもてなす大切な神事だったのだ。

この日、義兄(あに)は再入院をし、がんの転移部分を切除する手術を受けた。

 早朝から病院に詰め、兄を励まして手術室に送りだした家族や兄弟も、当初の医者の説明通り、午後には覚醒した兄に会えるものだと思っていた。初めは近況を語り合い、前の入院で通いなれた食堂でこれまた談笑しながらの昼食をとり、あとは帰りを2,3時間待つばかりと誰もが思っていたが、7時間、8時間と過ぎるうちに、不安ばかりがつのり、どこかに逃れたいと思うほど、控室は重苦しい空気になっていった。

言葉を選び、控えめながらも、成功を伝える医師の言葉をどれほど有難く心強く聞いただろう。無事の生還。実に8時間半に及ぶ大手術だった。

安堵の思いの帰路で見上げた夜中の桜。この圧倒的な力強さを何と表現しよう。兄を助け、私たち家族を助けてくれた神様がそこに降臨しているかに見える、満開の桜であった。





春は忙し

  1. 2016/04/06(水) 09:05:53|
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春の声は桜や鶯ばかりではない。青菜や果物や、地の食べ物たちが、ほら春でしょうと言わんばかりに、香りたち、冬の滋味とは違う甘さや、青臭さで訴えてくる。

 我が家の愛犬ハンナは、どうしたわけか野菜好き果物好き。茹で白菜は毎食、インゲンも、アスパラも、青梗菜や小松菜も、サクッと切る音で台所に駆けつけるし、イチゴもトマトもサクランボも、ときりがない。私が茹でがけの野菜をつまみ食いして、思わず「おいしい」と言おうものなら、ハンナはむくっと起き上がるし、食べさせようものなら、お腹がパンパンになっても止まらないに違いない。

 そこで春から始まる我が家のお約束、犬の目や耳のあるところでは「おいしい」と言わずに「忙しい」と言うことにした。嗅覚の鋭い犬のことだ、「勘違い‼と言われても、そうそう騙されてはくれぬが、そこは犬、ルールに従うべく、残念そうに台所を後にする。老練と呼ぶに十分な年になった、ハンナ。その後ろ姿から「しょうがないなぁ、おいしそうなんだけどなぁ」という声が聞こえるようだ。

 病床の叔母もそうだろうか。見送った父や母も、医者の説明をオブラートに包む私の小さな誤魔化しを、すっかり見抜いていて、それでも騙されたふりをしていてくれたのだろうか。

春たけなわ。果物も野菜もいよいよイソガシイ季節がやってきた。  


 


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