玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


命のパン(2)

  1. 2016/02/24(水) 10:14:47|
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 入院生活を続けている叔母の命を支えているいくつかの力。列挙するなら、第一に主治医と病院スタッフの慈愛あふれる看護態勢。勿論本人の意思と力。そしてまもなく半年になろうとする毎日のパン弁当。

 秋の初めに一か月もつかどうかと言われた叔母は、パン弁当を食べることがきっかけで、病院の給食にも手を伸ばせるようになり、点滴も外れ、顔色も良く、病床を訪ねる私を待ちわび、制止しなければ疲れることも忘れて、おしゃべりをした。

 正月の雑煮を口にできた事も、笹かまぼこをほおばるときの笑顔も、「バターロールばかりだと飽きるわ、あなた工夫なさい」という時の声も、ありがとうなどとなかなか口にしない叔母の代わりに、神様が私に下さるご褒美のような気持ちで受け止めた。

 そして今、叔母はたった一個のロールパンを食べ残し、あんなに喜んだフルーツも、食べきれなくなった。この先も私は、叔母の言うところの工夫をこらしてパン弁当を作り続けるのだろうが、手に取ってもらえなくなるのも遠い日では無いように思う。

 立春を過ぎても、まだ風は冷たく雪も舞う、が病室の窓を温める陽ざしはもう冬のそれではない。その病室にゆっくりゆっくり時間が流れていく。すぐにうとうとし始める叔母はどんな夢を見ていたのだろう。

 今日はヨーグルトの代わりに缶コーヒー、フルーツの代わりに温泉卵をいれて、目先を変えてみようと思う。

いってらっしゃい、命のパン。



 








百人一首

  1. 2016/02/17(水) 11:17:15|
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 私が高校生の頃か、いやもう少し後だろうか、個包装の「百人いっしょ」という
ネーミングの、のど飴が売りだされていた。パッケージの表に可愛らしい姫さまや坊主のイラストが描かれ、裏面には歌がかかれていたように記憶する。

 飴を買ってきては恋の歌を探す。「われても末にあわんとぞ思う」だの「しのぶれど、色に出にけり」だの、お気に入りを見つけては、平安の昔に思いをはせ、熱き恋心に憧れと夢想を膨らませていた。

そんな乙女チックな時代を思いだすきっかけが先日あった。子供向けのコンサートに一緒に出掛けた小学生と幼稚園児の兄妹が、帰りの駅や電車の中で、百人一首をそらんじ始めたのである。兄が上の句を言えば妹が下の句でこたえる。私も巻きこまれたが、しばらく開けていない引き出しからは、なかなかするすると歌が出てこない。家に帰って本を開けば、あぁ、あれも、そうだこれもと、歌とともにわが青春時代が蘇ってくる。

 楽しく覚える。競って覚える。そらで言えて、かるたが取れて、勝てば達成感があり、負けた悔しさがバネになる。子供たちにせがまれて、何度も何度も読み手になるおじいちゃんと、飽きずに繰り返す兄妹の姿が目に浮かぶようだ。子供とはなんと遊び上手で、なんと学び上手なのだろう。

 ふと。我が道に立ち返る。ピアノにしても何にしても、教えることに一生懸命になりすぎてはいないだろうか。子供向けに作られたコンサートがあまりに素晴らしくて、明日にも又聞きたいと思う楽しさに溢れていたり、百人一首に夢中で、疲れも電車の混雑も吹き飛ばすような面白さ、これはすごいパワーだ。
学ぶの語源をたどれば、真似るという言葉に行きあたる。子供たちが真似たいと思うほど、まず、私自身が、楽しくピアノを弾きたい。いや弾くぞ!と強く思った。



 



大福梅湯(おおぶくうめゆ)

  1. 2016/02/10(水) 12:08:18|
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お正月に、お友達が京都北天満宮の「大福梅」を送ってくれた。境内で採取した梅を、昔ながらの塩漬けにしたもので、何しろ昔も昔、村上天皇が天歴5年(951年)に、疫病にて御脳にかかり給いしが、この梅の茶を服し平癒したというありがたい王服茶なのである。これは、いずれお客様の時にでもご披露しながら皆でお茶をと思っていた。

 そのいずれが、思いがけなくもやってきた。先月末、どこでどう拾ったのか、とんでもなく高い熱の風邪を引き、冷やしても、薬を飲んでも熱は下がらず、関節も皮膚も痛くてうんうん唸るはめになったのである。

 なんと、おいしかったことか。がりがりに塩をふいた大福梅に熱い白湯を注いで、割りばしで梅の実をほぐしていく。薄梅色のしよっぱい大福湯を口に含んだとき、この世の中にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど、身体にも心にも沁みたのである。

 服薬をあまり得意としない体質の私は、充分すぎるくらい十分、風邪にも気を付け、おかげで丈夫だけが取りえのような暮らしを長く続けてきたが、今回はたくさんの教訓と自戒を残して、無事風邪が去っていった。日常生活が出来ることの何とありがたいことか。

一、二歩歩くのが精一杯の高熱でも、作らなければならなかった、犬ごはん、人ごはん。日ごろの備えと、自分にかわる戦力の必要性は大いに、大いに痛感である。内閣改造、いや列島改造、いやいや、家庭改革の風が吹き始めている。まず第一のお手本は映画「はなちゃんのみそ汁」だ。




















 



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福わうち

  1. 2016/02/03(水) 12:01:25|
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 今日は愛犬ハンナのお愉しみ「お風呂の日」である。
 数年前に皮膚炎になったのがきっかけで薬浴療法を受けるようになった。真っ黒ツヤぴかがご自慢のラブラドール。かゆみ止めは勿論、万が一にも禿げ坊主にならないようにと、主治医たちも心を砕いて下さった。

毎日お迎えにきてもらっていたお風呂が二日置きになり、五日置きになり、週一から、月一になるまで、ずいぶんと時間がかかったが、炎症は全身に広がることなく、脱毛もほとんど無しで完治した。が、小さい頃からのお風呂好きは、バブルバスにすっかりはまり、診察室に入るやいなや、お風呂に手をかけて身体を伸ばすらしい。

 そんなわけで完治後は薬浴ではなくただのバブルバス。健康チェック付、月に一度のお風呂の楽しみである。大好きな看護士さんの車に飛び乗って出かけていく様は、本当に嬉しそうである。

 そのハンナが入浴中にのぼせのような症状を見せるようになったのはここ2回ほどである。心臓への負担を軽くするため、バブルをやめ、ただのシャンプーお風呂にしたにも関わらず、浴槽によりかかり、はぁはぁするようになったというのだ。
 
 入浴時間を短くするか、お風呂そのものを止めにするか、医師たちもまようところらしいが、節分の今日、雪曇りの空は久しぶりの青空になり、寒さも少し和らいだ。言うならば、お風呂日和だ。人生いや犬生多少のリスクは覚悟の上、お風呂の愉しみを譲るかどうするかは、本人がいずれ決めるだろう。福はうち、福わうち!
今日の幸せを大事にしてやろうと思う。

 福わうち、福わうち。今日は高校入試の日でもある。今まさに試験問題と書闘している子供たちにも、福の神が寄り添いますように。



  







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