玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


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夏やすみ

  1. 2015/07/29(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 怒涛のように様々なことが起こる。負けてたまるか、とテニスボールを打ち返すようにスポーン、スポーンとラケットを力いっぱい振る。その速さ、正確さは自分でも惚れ惚れするほどだ。

夏やすみ_04 忙しいのに忙しそうに見えず、趣味も仕事も楽しげにこなし、昼となく夜となく誘われれば断ることもせず、フットワークの軽やかなこと、軽やかなこと。

 よく食べ、よく呑み、良く笑い、疲れ知らずの怪物パワーと書いていて、そこまでパワフルでいる必要はあるのだろうかとふと思った。

このごろゆっくり物を考えることができずにいる。

私だけが忙しいわけではない。みんな仕事もあれば家事もある。一日は誰にも平等な24時間で、日本中が猛暑で、条件はたぶんみな同じなのに、私の思考回路はすでに夏バテ。やるべきことはしているはずなのに、何にもせずに一日が終わったような錯覚にとらわれる。始末が悪いのは終わったことに達成感がなく、やり残したことに焦りもないことだ。

 こんなことでいいわけがない。さあさもうすぐ盆休み。のんびりゆったり過ごそうか、はたまたサクサク遊ぼうか、そこから決めなければ。呟く私を知ってか知らずか、馬はのんびり草を食む。

 夏やすみ_02  

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夏の景色

  1. 2015/07/22(水) 06:54:45|
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 たとえわずか一晩の留守でも、帰り着いたときの庭の景色は微妙に違っている。最近なら紫陽花の色が濃くなったり、ぽつぽつ咲いていたブーゲンビリアの花が増えていたり、まるで二枚の絵の間違い探しのように、緑の中に現れたり消えたりする、夏の景色の昨日と今日の違いに驚ろかされる。

 二泊三日の旅だった今回は、真緑で固く小さかった百合のつぼみが幾つも膨らんで白くたおやかに変身を遂げていた。おなじく固い緑のブルーベリーが、何時の間にか熟しかけの紫の玉になっていた。柔らかくて、おいしそうだったぺパーミントは、周りの花よりぐんと背が高くなって、藤色の可憐な花を咲かせている。三日見ぬ間の桜ならぬ荒れ庭である。

 叔母が脳梗塞を起こしてから、今日で10日。ぱつと明るくなった百合の庭ののように、希望が見えてくることを祈らずにはいられない。


夏の景色_01 夏の景色_02


何年ぶり

  1. 2015/07/15(水) 09:00:00|
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 何年ぶり、いや十数年ぶりだろうか、ビアガーデンで楽しいひと時をすごした。最初は、デパートの屋上から見える夕焼けや、しだいに暮れてゆく空を見ながら、情緒的なお話も出てはいたが、愛馬談義に花を咲かせ、屈託のない笑いがひろがり、飲むほどに、酔うほどに、もう、空も月もすっかり忘れ、そこに居るだけで幸せで、皆のさざめく声が涼風のように心地よかった。

 怪我なく楽しく過ごすことが出来た上半期の締めくくりで集った馬仲間たち。みんなの胸に感謝の気持ちと、よし下半期もという、目標や希望が膨らんだにちがいない。乾杯の笑顔はいつもながらのナイスショットだ。

 明けて月曜日。昨夜の余韻をパワーに変えて、さぁ今週もと思うところに電話が鳴った。叔母がお世話になっている青森の病院からで、思いもかけない叔母の不調を告げられた。ろれつが回っていない。脳梗塞の疑い。MRI。エトセトラ、エトセトラ。

 何年前になるだろう、仙台の母が倒れて救急車を呼んだのは。そこから始まった、山あり山あり、谷あり谷ありの長い入院生活が昨日のことのように思いだされる。

 検査の結果、叔母は脳梗塞を起こしており、急性期の対応、処置で、経過観察とあいなった。何年ぶりかでまた始まった介護生活。今度の山は幾連峰になるのだろう。身寄りのない叔母を支えて、遠距離介護は果たしてうまくいくだろうか。焦る気持ち、不安な気持ちを、もう一人の私が慰め始める、どうどうどう、よしよし、ほーほー。

 べたつく暑さの仙台から、照りつける暑さの青森へ。あじぃ、あじぃ、犬だつて歩かないよこんな日はと呟きながらも、自分で歩けることのありがたさが暑さ以上にじりじりと心に届く。頑張れ私、頑張れ病人!

何年ぶり_01 何年ぶり_02


馬の相棒

  1. 2015/07/08(水) 09:00:00|
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 ひと月ほど前、初めて馬の競技会に出させていただいた。初歩のさらにまた初歩の段階の試合だが、たくさんの方々のお力添えのお蔭で走行を無事終え、緊張と感動とを体感させていただいた。人馬ともに幸福な一日であった、と書きたいところだが、私の気持ちはさておき、馬の気持ちは聞きだすのが難しい。

 が、たくさんの見知らぬ方にまで立派な馬だと褒めていただき、美しいとまで称賛されて、悪い気はしなかったらしい。久しぶりの馬運車にもさくさく乗り込み、厩舎でも悠然と構え、試合直前の一礼静止は見事なまでに凛々しかった。首も振らず、ぶひぶひと鼻も鳴らさず、スタートからゴールまで歩様を乱すことなく走った姿も、お仲間やたくさんの人に褒めてもらい、いただいたリボンと撮った写真は、どう見ても嬉しそうな顔だ。

 そのあと、風邪でダウンした私が、再び騎乗したのは試合から2週間ほど過ぎた時だ。「馬と人の様子が変わりましたね」と先生に言っていただいたが、まだその意味が私には良く分からなかった。が、更に一週間後、馬に運動をさせながらその違いを私も体感したのである。馬の集中力の違いである。

 私の思いすごしでなければ、馬は全身を耳にして、私の指示と声を待ってくれているのである。これまでも実に賢く従順で、時々愛嬌のある悪戯はするものの、我儘などせずに私を乗せてくれていたが、その従順さとも違う、言うなら一歩前向きの「行くぜ!さぁ何をすればいい?」という気迫が感じられるのである。

 この馬と出会って一年。馬も心を許してくれて一年。と私は思っていたが、馬のほうでは、実はこの競技会で初めて私を、「こいつが俺の相棒」なのだと、認めてくれたのではないだろうか。

 馬の年齢と痛めた足を考慮し、馬の幸せが一日でも長く続くよう無理をさせないことばかりを考えてきたが、馬自身はまた違う感覚でいるのではないだろうか。まだまだやれる!と言わんばかりの馬の気持ちを思いやり、馬の力に見合う自分になれるよう、日々の研鑽が特命といったところだろうか。

 いずれにしても、初めての競技会、いただいたリボンも、経路図も、応援して下さったチームの皆さんの笑顔も、愛馬ジェルボアの変化も、なにものにも代えがたい宝物である。

馬の相棒_01 馬の相棒_02

馬の相棒_03 馬の相棒_04



イタリア

  1. 2015/07/01(水) 09:00:00|
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 20代あるいは30代のころまでだろうか、いずれイタリアに住みたいと本気で考えていた。喧嘩別れをして家族を捨てて行くわけではない。子育てが終わり、主婦業も定年とさせてもらえる年になったら南イタリアの小さな町。緩やかな丘の上の一軒家での一人暮らし。シンプルで身軽な暮らし。訪ねてくる人を温かく迎え入れる優しい暮らし。どれほど憧れただろう。

イタリア_01イタリア_02

 目をつむれば、風にそよぐハーブの畑、道を駆け上がってくる友人たち。いつのまにか家の色も屋根の色も、遠くに聞こえる教会の鐘も、と想像はどんどん膨らんでいった。が、子育てが終わるころには介護が始まり、一人見送っても、また新たな介護、気が付けばイタリアの家を思い浮かべることさえ何年も何年も忘れていた。どうしてイタリアに執着したのかも思いだせないほどだ。

 そして今、もう十分に主婦業定年のプラカードを掲げたい年になったが、まだ介護は続いている。子育てはとうの昔に終わったが、かわいすぎる犬もいれば甘え上手な馬もいる。

 イタリアはこのまま憧れで終わるのだろうが、今にして思えば、その憧れが、私の原動力にもなっていたのだと思う。一人暮らしをしようとする強い意志。物にとらわれない生き方。ちょっとした我慢。それらはいずれ実現されるであろうイタリア暮らしのために培われ、磨かれていったのだと思う。

 どこでどうスイッチが入ったのか、ふと思いだしたイタリアの憧れの家。弱い自分が強くなろう強くなろうとしていたあの頃をも思いださせてくれた。今日も書こう。雨にも負けず、風にも負けず、介護にも負けない丈夫な心を、と。



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