玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


豚のタネ

  1. 2015/04/29(水) 09:00:00|
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 遠くにのんびり草を食む牛が見える。足元に菜の花が鮮やかで、見上げる空には綿菓子のような雲しかない、八重桜はまだようやく開きかけたばかり、と自然過ぎる牧場の風景を眺めている視界の端に、すごいスピードで走り去る黒っぽい物体が現れた。放牧豚である。

豚のタネ_02

 豚舎を駆け抜け、エサ場を過ぎ、丘を駆け下り草むらを走ってゆく。よく見ると、所々に水たまりや屋根のかかった日陰場もある。泥浴びは大切な体温調節法。広い豚舎は豚のストレスを軽減するためのもの。黒っぽいふかふかのおがの上に、居るは居るは数えきれないほどの泥んこの豚たちである。

豚のタネ_01

 小さめの豚はこれからが肥育、つぶらな目、くるっと巻いたしっぽ、泥んこが所々剥げ落ちた皮膚は、ピンク色でプリッとしていかにも健康そうだ。食べて寝て遊んで、やがて私たちの食肉となる。

 鶏舎で卵を拾い、鶏ガラだしの月見蕎麦や出来立てサラミで昼食をごちそうになり。その日の見学会は終わった。案内してくれた牧場主は獣医でもあり、先の動物福祉セミナーで講師をしてくださった方だ。時間にすれば2時間ほど、だがその2時間の貴重なお話を納得させるのは、味わう卵のおいしさ、鶏肉の弾力とうまみ、ハムやサラダの臭みの無さ、脂身の甘さが、口福を越え耳福を超え、全身にしみわたるような満足感となる。

豚のタネ_03

 命をいただいているのだと、肉にも魚にも野菜にも、感謝の気持ちは持っていたつもりだったが、走る豚、産みたての殻がふにゃふにゃした卵。何より臭くない豚舎と鶏舎を巡っていると、肉も卵にも健康や大自然がコミコミセットされているような気がしてくるのである。

 絵本「ぶたのたね」では食いしん坊のオオカミが豚の成る樹を育てようとする。そんな樹がありえないように、あの元気で健康な放牧豚や鶏や、加工品の数々は、種をまいてすぐに収穫出来たものであるはずもない。おおらかで食いしん坊の獣医さんのお話を聞きながら、こんなにもいい食べ物を作っていることへの感謝と、命への感謝と、限りなくわいてくるお料理プランで満たされた牧場訪問となった。

 牧場直送の肉や卵が届くことになった我が家。まもなく門のあたりに旗がぶら下がるかもしれない。「牧場の風を感じる旨いもの、いや元気のタネあります」と。



南瓜パン

  1. 2015/04/22(水) 09:00:00|
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 かたくなな心、いや強い精神力。一人暮らしの老叔母を喩えるならこんな言葉だろうか。入院から2週間の叔母を見舞いに、あさイチの新幹線に乗り込んだ。家に帰りたいコールはすでに予測済み。あとはどんな無理難題が待っているのだろう。想定問答を考える、2時間を経て、小雨の青森に到着した。

 案の定。開口一番、私に返って来たのは、「食べられないおやつは何も 送らなくてもいいのに」の一言だった。病室の入り口で、深呼吸で整えた笑顔も凍りそうになる。どうやら数日前に送ったクッキーが固かったらしい。

 彼女なりのポーズなのだと思う。顔色もよく、食欲も出てきて、何か言わずにはいられず、さりとてお世話をしてくれる看護師や家政婦に不安もぶつけられず、きっと私を待っていたに違いない。そして開口一番が「固い話」になったのだと思う。

 ここからはドラえもんのポケットだ。仙台土産のふわふわの黒糖饅頭。彼女が贔屓の果物店の「あまおう」。ホテルのデリカのちらし寿司。そして南瓜(かぼちゃ)のパン。叔母の顔がいっぺんにほころぶ。饅頭に手が伸び、いちごをほおばり、南瓜パンに相好を崩す。「甘い、おいしい、嬉しい」をようやく言えるきっかけが見つかったのだろう。機嫌よく相槌を打ち、病室に静かな時間が流れていく。まだ入浴が許されないこと、しばらくはおかゆらしいこと、先生や看護師さんのお世話になっていること、表情は一変して好々爺女版だ。

 病状は少しづつながらも好転していると先生にも言っていただき、本人もまだ歩こうとする希望を捨ててはいない。まずは一安心と私もほっとする。が、話し疲れてうとうとし始めた叔母の床頭台やテーブルを片付けて、驚いた。

 あんなに喜んだ南瓜パンは指でつまむほど、小さな黒糖饅頭も半分も食べていない。お昼にと持ち込んだちらし寿司は「いくら」を数粒だけ。こんなにも食べられなくなっていたのかと愕然とした。冷蔵庫を開けてみた。好物のチョコレートも、飲み物も果物も、おかゆ用にと送った鮭のそぼろも手つかずだ。年を取るとはこうゆうことなのだろうか。病気になるとはこうゆうことなのだろうか。

 少しづつだか確実に小さくなってゆく彼女の世界。一人暮らしの自宅時代よりさらに小さくなった彼女の世界。これは何のお手本だろう。食べられるうちに食べられるだけ、いや違う。食べられる日常への深い感謝だろうか。滋味、南瓜パンである。

南瓜パン_01



会いたい

  1. 2015/04/15(水) 09:00:00|
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 今から30年も前、ピアノのお稽古に来てくれていたお弟子さんが「先生会いたい」と言ってくれた。あぁ嬉しいと思わずひとりごちた。

 川越に住む大学時代の友人が、会おうよと声をかけてくれる。来れる?来られないなら行こうかとまで言ってくれる。行かなければと気合いが入る。

 母の七回忌の読経の後で、ご住職は「次は十三回忌、しばらく間は空きますが、お元気で、またご法要しましょう」と穏やかにおっしゃった。このあと6年の元気が約束されたような気になった。

 この一週間、驚くほどたくさん「会いたい」の声を聞いた。緊急入院した叔母のケアマネージャーも、留守宅の管理を引き受けてくれた人も、叔母の身の周りの世話をしてくれている家政婦も、今か今かと帰省する私を待っている。急ぐ人も、そうでない人も色々だが、「今度一緒に飲みましょう」と言ってくれる人も、ぜひ川越へと言ってくれる人も、大阪に来ませんかと言う人も、スペイン料理を伝授しましょうといってくれる人も、秋田で待ってるといってくれる人も、どれをとっても社交辞令は一つもない。

 さぁ私。年頭に心に決めた通り、今年は出会い、再会の波に乗ろう。想定外の難題は次々と降りかかるけれど、いまなら勢いと若さだけの時期とは違う、いい出会い直しができるに違いない。「会いたい」とありがたく嬉しい事を言っていただけるうちに。フットワークの軽さも変わらぬうちに。

会いたい_01



上昇気流

  1. 2015/04/08(水) 09:00:00|
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 数日前、一本の電話で私の実家の穏やかな日常は瓦解した。一人暮らしを続けていた叔母の不調を知らせる電話は、わずか十数分で救急車を呼ぶほどの事態となった。家政婦の機転、ホームドクターが叔母を受け入れてくれた事や、素早い処置もあって、一命はとりとめたが、絶対安静の日々は続いている。

 原因は高血圧。内科的な検査は今後も続くようだが、幸い脳には異状なく、血圧が下がり始めたら、少しづつ意思表示もできるようになった。もちろん駆けつけた私のことも認識でき、新聞や牛乳を止めろの、眼鏡を持ってこいのと言うくらいだから、一安心だ。

 が85歳の叔母。家じゅうに手すりをつけ、やっとやっと歩いていた彼女が絶対安静を続けることは、筋力の低下を招き、そしてこのまま寝たきりは避けられない現実になりそうだ。去年の夏、望んで入った施設をわずか3日で抜け出す騒動を起こし、自分の家にこだわり続けた叔母の暮らしは、想定していた最悪のパターンで終了となった。

 新聞も牛乳もクリーニング屋にも連絡と支払いを済ませ、台所の生ものを処分し、ご近所に挨拶も済ませ、叔母の身の周りの世話を家政婦に頼み当座の対応は済ませたが、これからの事を考えると暗澹たる気持ちだ。叔母の住む青森と仙台との物理的距離、歩けなくなることを想像だにできない叔母の「家に帰りたい」コール。空家の管理。そして何より叔母の日常的なケア。いやいやとんでもないことになってしまったものである。

上昇気流_01 空気を読めずに我儘を言う叔母と対照的に、空気を読みすぎる愛犬ハンナは、日に何度も考え込んでしまう私のそばに来て、衣を裂くような鳴き声を上げるようになった。喉を鳴らしているのだろうか、あれも声なのだろうか、ヒィ~っという笛のような鳴き声に、驚かされる。

 大丈夫、大丈夫。自分にも犬にも言い聞かせる。ボールやおもちゃを転がして、「ほらいくよ!」と、から元気を見せるけれど、犬も自分もあっという間に遊び飽きてしまう。まるで風のない日の凧揚げの様だと思う。上昇気流を探さなければ。私という凧も私の暮らしという凧も、地面にたたきつけられ傷ついて、二度と風に乗れなくなってしまう。黒ぴかハンナも不安のあまり、又しても白毛が増えてしまいそうだ。










四月馬家

  1. 2015/04/01(水) 09:00:00|
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 「玉能回路」が始まったのは2001年。毎週水曜日に、日々のあれこれを書き綴って、はや14年になろうとしている。本日4月1日、エープリルフール。はて4月1日が水曜だったのはいつだっだろうと「玉能回路」のアーカイブを見てみたら2009年「家守り蛙」以来である。

 読み返してみて、少しもおちゃらけていないことに驚いた。母の介護まっただ中、ジョークを楽しむ余裕もなかったのかもしれない。もっとも余裕のある今日でも洒落た話が出来るわけではないが、ふと「四月馬家」という四文字が浮かんできた。犬を愛おしく思う人が愛犬家なら、さしずめ馬は愛馬家だろうか。春到来、障害飛越の技を磨く人たちにとっては競技会に参戦するシーズンスタート。私のように何も飛ばない馬家はジャブジャブ馬を洗ってやれる春の到来である。

 我が愛馬は、かつての競技会では優秀な成績を収めていたのだという。その当時は冬でも毛を短く刈り上げて何時でも試合モードでいたに違いないが、今は自然体、冬毛もこもこ、鬣(たてがみ)も顎鬚(あごひげ)も伸ばしたままだ。そのモコモコを濡らしてしまっては乾かすのに要する時間も勿論だが、身体を冷やして体調を崩される懸念もある。冬毛が抜け、身軽になるこれからが、待ちに待った丸洗いシーズンの始まりである。

四月馬家_01

 600キロをゆうに越す馬体を洗うにはシャンプーもリンスも大層な量が必要だ。使うタオルもかかる時間も中々のものである。洗う私は抜け毛まみれ、びしょ濡れになるけれど、なんとも気持ちよさそうな馬の表情(かお)を見れば、なんのその、なんのその。洗ってすぐに砂浴びをされようが、なんのその、なんのその。きっと四月馬家は騎乗以上の運動量になるに違いない。ツヤぴかの馬とスリム化の自分を想像する、4月1日である。

四月馬家_02



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