玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


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悲喜交々(ひきこもごも)

  1. 2015/02/25(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 立春を過ぎたとはいえ、季節を間違えたかの陽気が続いた昨日、嬉しい知らせと、悲しい知らせとを同時に受け取った。一つは結婚式の案内状。花嫁の父となる彼の結婚式をつい昨日のことのように思いだせるのに、そうか、そうかぁ、ついにそうか。身内のように、いや身内以上のお付き合いをしてきた、この何十年かの出来事が、静かに打ち寄せる内海の波のように心に戻ってくる。

 もう一つは訃報。十分な年齢であり、いつお目にかかれなくなるかという不安も、覚悟もあったのだが、それこそ、身内のように大事にしていただけた日々を思えば、悲しみはじわじわと広がる。零(こぼ)した水が、衣(きぬ)にしみていくように、心に悲しみ色が広がっていく。先に逝かれたご主人はちゃんとお迎えにいらしているだろうか。

 たくさんのことを教えていただいた。社会の重責を担ってこられたご夫妻なのに、いつも平らかであったことが、何よりのお手本だった。ご夫妻とのさまざまなシーンを思い出しながら静かにお見送りをしようと思う。心の中には語り掛けたい言葉が溢れている。感謝の思いもますます強くなる。が、静かに静かに。

 今日からまた、少しづつ寒さが戻ってくるらしい。2月最終週である。

悲喜交々_01


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予定調和

  1. 2015/02/18(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 予定調和を「何のトラブルもなく、予定通り無事終わる」という意味に捉えたら、昨日行われたセミナーは、正反対。会場そのものが混沌の中に漕ぎ出した巨大な宇宙船のようなもの。基調講演をした先生も、パネリストたちも、たどり着く先が読めず、唯一皆の心にあったのは、精神科医でもあるコーディネーターが、実に優秀な船長だったということだろう。

予定調和_01 会の主催は仙台市。「人と動物が生きていく優しい街を目指して」という動物愛護セミナーだ。後援は農林水産省仙台農政局。基調講演は動物福祉の第一人者である大学教授が「動物福祉と社会福祉」という題で語り、パネリストには動物介在活動をするボランティア団体の方や、畜産を動物にストレスを与えない形で行っている方、そして障がい者の雇用や動物介在を農業経営に取り込もうとするお役所からの実際の取り組みやこれからの展望。会が進めば進むほど、大海原に漕ぎ出す感が強くなる、セミナーであった。

 短い文章で、このセミナー丸のクルーたち全員について語るのは困難だが、大きく分ければ、動物愛護団体、動物にかかわる仕事の方、学生や研究者。障がい者雇用にかかわる事業者、福祉関係者、畜産や農業経営者。動物介在活動のボランティア。それに国のお役所関係の方と何にも所属しない一般の方。共通項を見つけにくい実に多岐にわたる方々に唯一共通なのは、多忙な平日の午後、みぞれと不気味な余震にもめげずに、会場に足を運んだ熱意である。

 ペットである犬猫なども、いずれ食べられる産業動物もストレスの少ない環境で育て、動物のもつ癒しの力をメンタルヘルスの問題を抱える人のケアに応用し、弱者である障がい者も雇用できる社会、経済の仕組みを模索する。こんな壮大であり、かつ今まさに喫緊の課題が、熱く討議された。異論、反論も飛び出す質疑応答を聞きながら、新たな課題が見つかった、とも感じた。たくさんの検討の材料や提言を貰ったとも思えた。何よりこれまでと違ったのは、配られたセミナー資料をもう一度読み直したいと思ったことだ。

 コーディネーターである、帝京科学大学の横山准教授は資料にマハトマ・ガンジーのこんな言葉を引いている「国の偉大さ、道徳的発展はその国における動物の扱いでわかる(The greatness of national and its moral progress can be judged by the way its animals are treated)」もう一つ、「誰も担い手がいないので、そこにハンディのある人を押し付ける」という考え方を決して「塵ほども」持ってはいけない。と、セミナーの原点が語られている。この会で総合司会をさせていただいた。濃い準備期間、濃い一日、であった。



野菜の鉢

  1. 2015/02/11(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 仕事で遠出となったある日、たまたま通りかかった道の駅で野菜の寄せ植えを買った。レタス、ミズナ、ルッコラ、小松菜がこんもりとかわいらしく、鉢もカラフルなプラスチックのボウルである。

 レジで地元の主婦らしき人から声をかけられた。「かわいくて食べられないですよね」と。いやいや、そんなメルヘンではなく、お弁当や煮物のいろどりに、わずか600円で買えるこの鉢は実に経済的で実用的で、と心の中で思ったが、にこにこ笑顔を返してその場を離れた。

 ところがどうだ、台所のカウンターに置いた野菜が、すくすく、きらきら、それぞれの野菜の緑の濃淡があまりに美しく、いろどりどころか、ミズナ一本も折れなくなったのだ。

 野菜鉢をみながらつくづく思った。声をかけて下さったご婦人と、もう少しお話をすればよかった。あの方も同じ鉢を購入して、あまりの可愛らしさに食べることを躊躇したのだろうか。でも結局どうしたのだろう。きっと楽しい会話になったに違いない。

 ここ何年も、聞き役になることが身についてしまっている。口にするのは同意でも、反論でもない。ひたすら聞く。そして受け止めたことを伝える相槌を打つ。

 それは、かの震災があまりにも大きく、抱える老親の思考は想定外で、新聞を広げて目に飛び込む事件事故は思いがけないほど悲惨で、紛争に目を転じればさらに凄惨で、語る言葉も返す言葉も見つけられなかったからだ。

 が、いつまでもこれでいいのだろうか。言いすぎてはいけない、聞きすぎてもいけない、が、黙って笑って聞き流すのはもっといけない。

 またしても賢治だが。東奔西走、皆に声をかけ、なお「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 」サウユウモノたるには、どんな言葉を学べばいいのだろう。

 朝の光を浴びて、緑のグラデーションが実に優しく美しい。心も言葉も優しく美しくありたいとしみじみ思う。

野菜の鉢_01


言葉の森

  1. 2015/02/04(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 言葉の数、言い換えるなら語彙の量。ものの本によれば、語彙とは言葉の集まりを指す言葉で、日常生活に不可欠で子供でも知っていて、他国の言語にも相当するものがあり、歴史の中で変化しにくいものを指すのだという。手足耳口などの身体語、父母兄弟などの親族語、食べ物や動物や気象などに関する名詞を基礎語彙と言うのだそうだ。

 その語彙、6歳の子供では5,000から6,000語、中学生に成るころには3万語くらいになるのだという。それでは4~5歳の子供はどれくらいの言葉を持っているのだろう。

 今年に入ってから、小さなお弟子さんたちにピアノのお稽古に来ていただけるようになった。母の介護で、生徒を手放し、受験生を見ることもなくなり、曜日と弟子たちの顔が一致するような暮らしから遠ざかってしまっていたが、今、私の頭の中では月曜始まりのカレンダーとは違う、レッスン日を起点にする回路が出来あがりつつある。

 かつて天職だとまで思ったピアノのレッスンを辞めなければならなくなった時、いつか又落ちついたら、という周囲の慰めの言葉に頷きながら、気持ちの中ではきっぱりと否定していた。実績を上げてきたお教室をまた一から始めるには同じ年数がかかると考えたからだ。当時の私に見えていたのは仕事全体としての成果や評価だったのだと思う。長いブランクで失われる情熱やパワーにも不安があった。

言葉の森_01 果たしてこのブランク、本当にマイナス要因だけだったのだろうか。それぞれの年齢の子供が一週間で達成感をもって取り組める課題の量を考え、読める文字、理解できる言葉を選んで話す、さらに新しい動作や言葉を練りに練って伝えてゆく。大きな字、ひらがな、はな丸や、goodのサイン。子供の顔が瞬時に変わる。子供の表情に躊躇や満足感や嬉しさが現れる。実に楽しい。

 言葉の森に小さな苗木を植えてゆく。言葉たちがダンスのように踊り始めるその先に音楽の森がある。私の情熱もパワーも衰えていなかったが、ありがたいことに利息も付いていた。若いころには無かった待つ余裕、言葉を置き換える余裕、子供の集中力が切れる前にレッスンを切り上げる勇気。年を取るのも悪くないと思う音楽曜日である。















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