玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


除夜の鐘

  1. 2014/12/31(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 去年の今頃は、母の葬儀の後始末でまだまだ心忙しかった。震災の年は全壊になった家の解体にむけて、暮れも正月もない忙しさだったし、翌年は完成した家に引っ越して、段ボール箱に囲まれた年末だった。

 怒涛のようだった数年に比べれば、なんと穏やかな年の瀬だろう。悩みもないわけではないし、不安材料だってゼロとは言えないが、大掃除を手伝ってくれる強力な助っ人がいたり、師走の贈り物を交し合う友と平穏を喜びあう、ありがたい日々が続いている。

 今朝、一枚の写真が添付されたメイルが届いた。あまりに空が美しかったからと書かれたメイルはベルリンからだ。パソコンなのだから、あっというまに届くのだが、遠い遠いとこらからやってきた写真を、「まぁまぁ、ようこそ」と、ねぎらいたくなるほど、愛おしかった。

 遙か遠くに、穏やかな気持ちで私を思いだしてくれる人がいる。無事だろうか、とか、大変だろうと気遣うのではなく、佳い年を!と声をかけていただける自分がいる。ありがたいことだとしみじみ思う。

 何年ぶりかで我が家で聞く除夜の鐘。「ごぉ~ん」に一つ「かぁ~ん」に一つ、ありがとうと呟きたい。108回では足りないかもしれないが、108グループにむけてなら、間に合うだろうか。音楽にかかわる人にも、馬を愛する人たちにも、犬猫を守ろうとする人にも、私たちを支えて下さる方々にも、未来に向かって手を伸ばす子供たちにも、ほら、まだ103回も言えそうだ。「来る年が佳い年でありますように」と。


除夜の鐘_01



メリクリ

  1. 2014/12/24(水) 09:00:00|
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 クリスチャンでもないし、教会に行ったり、お食事にでかけたり、コンサートに行くわけでもないし、歌も歌わない。子供たちは大きくなり、マッシュポテトを褒めてくれた母もいなくなって、丸ごとチキンもしばらく焼いていない。

 玄関のミニツリーとピアノの上に飾られたクリスマスカードを除けば、日常と何ら変わらない冬の一日。それなのに、なんだか嬉しくてたまらない。小さな幸せが愛おしくてたまらない。

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 人の幸せを願う幸せ。人の祈りを受け取る幸せ。目に見えない贈り物なのに、かけられたリボンがひらひら、きらきら揺れるさまが目に見えるようだ。

 メリークリスマス!あなたの心に届きますように。



生活雑記

  1. 2014/12/17(水) 09:00:00|
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 暑い、暑い、と言っていたのが遠い昔だったような、じりじりと焼けるような太陽など無かったような、そんな気にさえさせる寒い日が続いている。

 去年はどうだったろう。思いだそうとするが秋と冬の境は記憶にも曖昧で、いつからコートを着たのか、本格的な暖房を入れたのがいつだったのかも思いだせない。

 これは年のせいなのか、あるいは忘れることで日々何かを更新してゆく人の暮らしの特技なのか、いずれにしても思いだせないことだけは確かだ。

生活雑記_01 と、ここまで書いて、先日荷物整理で見つけた母の日記帳に合点がいった。

 家計簿とも、本格的な日記とも違う、箇条書きのA4サイズのビジネスダイアリーだ。一日当たり5行くらいの罫線ノートにその日の出来事が記されている。

 母が亡くなってから何年も、そのうちゆっくり目を通そうと束にしておいたが、今改めて眺めてみると、まさに家庭歴だ。12月のページには年賀状を購入した日、年末のご挨拶周りをした日、正月の餅が届いた日、病院でまとめてお薬を貰った日、米や灯油一缶の値段も書きこんである。これは母が去年の今頃を思いだすためのメモ帳だったのではないだろうか。

 今の私に去年のこんなノートがあったら、コートを出した日、餅の注文をした日、年賀状を書き始めた日、書き終えた日、忘年会、あいさつ回り、が一目瞭然。今年の計画にどれほど役に立っただろう。

 日記も書かず、家計簿もつけず、思い出は心の中で十分!などとうそぶいていた自分も、そろそろ記憶を助けるツールが必要な年齢になってきたのかもしれない。まずは今日のところに書きこもう、年賀状書きスタート!



眼ぢから

  1. 2014/12/10(水) 13:45:14|
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 数年前、不思議なご縁からある国会議員を応援することになった。応援と言っても私の力など微々たるもの、何かのお集まりの時に裏方のお手伝いをするのが精一杯だが、それでも何年も続いているのには自分なりの納得と訳がある。

 彼は話す相手から決して目をそらさない、そしてどんなときにも丁寧に頭を下げる、その立居振舞はお人柄そのものだと思う。まずはそこに信を置く。

 その彼を囲んでの後援者の集いに、同じ政党の衆議院候補者が挨拶に来られた。壇上から志を熱く語り、支援を頼み、帰り際には各テーブルを握手して回った。が、候補者は私と目を合わせない。先ごろ行われた日中首脳会談の握手みたいだ。手のひらには生暖かい感触があるのに、違和感が強く残った。

 10ばかりあるテーブルを秘書に案内されながら、候補者が回り、小さな拍手や歓声があがっている。激励の声も聞こえる、が、どのテーブルでも候補者は先を見て、握手の相手を見ていない。回る効果があるのだろうか。握手の意味があるのだろうか。

 頭の中で空想、妄想のビデオが回り始めた。候補者が私に近づいてくる、手を差し出し、まっすぐこちらを見つめ、よろしくお願いしますと言う。同時にクッと握った手に力が入ってそのタイミングで頭を下げる。いや、お願いしますではなく、名前を名乗るほうがいいだろうか。

 候補者にはスタイリストはじめその道のプロが付いて、写真の撮られ方、好印象のいでたち、ネクタイの色、壇上での立ち方、こぶしを上げる様までアドヴァイスがあるのだろうに、目線について誰も教えて差し上げないのは、候補者が身内とは握手をしないからだろうか。ビデオを撮ってフオームを検討するスポーツ選手のように、候補者は見られ方を学習なさればいいのに。と、ここまで書いてまた新たな考えが浮かんできた。作っても装っても、作りきれないもの、装いきれないものが本当の姿なのだろうか。

 パソコンに向かう私の背中に熱い視線が感じられる。予想通りの愛犬の姿。この目ぢから、緊張感あふれる立ち姿、見せてあげたいものだと思わずにはいられない。

眼ぢから_01



減塩味噌

  1. 2014/12/03(水) 09:00:00|
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 今から何年前のことだったろう、一人暮らしをしていた仙台の母のところに大きな味噌樽が届いたことがあった。届いたと言っても贈り物ではなく、遠方から宣伝販売に来ていた味噌屋と、なかなかNOが言えない母が押し問答の末に買わされたものだ。小さなものなら隠せただろうが、玄関にどんと置かれた一斗樽を自力で動かすこともできず、母は途方にくれた。そしてついに発覚した。

 お宅のおかぁさんが買うといったから蓋まであけて試食をさせた。もう売り物にならない云々と味噌屋には凄まれた。こんな大きな樽を買うとは言わなかった、ただ美味しいねぇと言っただけだと母は涙声になる。なんとも大変な味噌騒動だった。

 樽に貼られたシールを頼りに製造元に電話をし、しかるべき人と話し合いをして引き取ってもらえることになるまで数日がかかった。鎮座まします味噌樽を母はどんな思いで見ていたのだろう。全額返金となり味噌を回収してもらったが、こちらにも誤解を招く言動があったのだろうからと5キロほどの小さな樽を購入した。

 その言動「あぁおいしいこと」の通り、白みそ系の優しい味わいは実においしかった。玄関から樽が消えて気を取り直した母は意気消沈から早変わり、小分けにしてお友達にも、私にも、持たせてくれた。

 すっかり忘れてた味噌騒動を思い出したのは、あの時の味噌に似た、優しい味わいの減塩味噌をいただいたからである。

 味覚は一瞬にして何十年ものタイムスリップをする。赤だしや仙台味噌が中心の我が家の食卓に、母が帰って来たかの懐かしさだ。小さく切ってつるんと飲み込める豆腐、大根の千六本、皮を剥いた茄子の薄切り、このところ毎朝、我が家は「母の味、味噌汁」が続いている。

 味噌汁を飲まない家庭で育った私が、嫁いで両親と同居し、一番悩んだのは味噌汁の実や作り方だった。今やソウルフード。語りきれないほどの思い出が詰まったソウルフードである。

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