玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


忘れない

  1. 2014/11/26(水) 09:00:00|
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 連休のある日、お世話になっている乗馬クラブのメンバーや関係者が集い、先に開催された長崎国体と宮城県民体育大会馬術競技会の祝勝会が行われた。総勢40名の大宴会、年齢層も厚く一ケタからアラカンまで、実に和やかで楽しい会だった。その楽しさが溢れる写真がフェイスブックに掲載されると、すぐさまさまざまなコメントが寄せられた。

 「震災直後はみんながこんなに笑顔で一緒に過ごせる日が来るとは思いませんでした。」
中にこんな一行があって、私も大きく頷いた。私だけではない、クラブのメンバー皆が同じに頷けたのではないだろうか。それは回顧や繰り言ではなく、震災後の歩みと、今の幸せに対する感謝思いが溢れた一文だからだ。

我が家でもこの連休中に久々のホームパーティーが開かれた。新米できりたんぽを作り、時の海幸山幸を肴に酒を酌み交わす、ただそれだけの夕食会に札幌や千葉からも参加があり賑やかに夜が更けた。

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 私の心の中にもあのコメントと同じ思いがこみ上げていた。

 何気ない日常、小さな幸せへの感謝、悲しみを乗り越えた今、などと言葉にした途端に大仰になってしまう幾つもの思いを敢えて胸にたたみ、笑顔になれた事の喜びが、ポカポカの陽ざしのように、一日の終わりのお風呂のように、私の体と心を温(ぬく)めてくれる。

 震災から3年8か月。忘れたくても忘れられない記憶だけでなく、今日の喜びも忘れないぞとあらためて心に誓う、嬉しい記憶を持てたことに感謝である。



アルバム

  1. 2014/11/19(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 倉庫から持ち帰った仙台の母の遺品を整理していて、驚いたのがアルバムや写真の多さである。大きな段ボール箱に幾つも、押し入れ一つでは足りないほどである。収納のスペースにも限りがあり、さりとて捨てるわけにもいかず、とりあえずアルバムから丁寧に剥がし、容量を小さくして保存することにした。

 父の写真も母の写真も、子供たちの学校行事の写真もかなりの量だが、軍服姿の人、母の女学校時代の友達とおぼしき人、加えてどなたかわからない婚礼写真も沢山ある。お仲人でもしたのだろうか。写真整理の手伝いをしてくれた友人が、こんなに沢山の写真を残せたお宅は裕福だったのねと感嘆してくれたが、そんなはずはない、戦後の混乱期、農家の大家族と同居して3人の子供を育てた父母は、しまつとやり繰りの日々だったはずだ。

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 写真整理もほぼ終わりかけたころ、ある古いアルバムで手が止まった。姉弟全員が写っているアルバムではなく、息子だけの成長記録の一冊があったのだ。

 しかも、最初の1ページが小学一年生からスタートしている。これは母のなんらかの意図で編集されたものなのだろうか。写真の白枠に「一年生」と小さく書き込みもあれば、写真の裏に、場所などを書き込んだものもある。家族のアルバムとだぶる写真も何枚もあるということは、いずれ独立する子供たちのために、子供の数ぶんアルバムを作ったということなのだろうか。

 改めてアルバム全体を眺めてみた。国木田独歩の一節がかかれた表紙、アルバムの扉には、母の字で「この道より 我を生かす道はなし この道を歩く 武者小路実篤 」と書かれているではないか。これは母親が当時6歳の息子に贈った言葉なのだろうか、それとも、嫁として、母として必死に生きる自分の心に言い聞かせた言葉だったのだろうか。

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 母の和服や身の回りの物より母らしさを伝えるアルバムがこの家に帰って来た。いつも笑顔だった、驚くほど辛抱強く、自分はいつでも二の次、三の次だった。几帳面にレイアウトされたページ、母らしいセレクト。母の声が聞こえて来るようだ。荷物整理の勢いで剥がし続けてきた写真たちだが、このアルバムばかりはこのまま保存と思わずにいられない。「お帰りなさい!お茶でも淹れましょうね」思わず話しかける私である。



共感の日

  1. 2014/11/12(水) 09:00:00|
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 『5 Day Gratitude』

 「毎日3つ、今感謝している事をFacebookに書き出し、最後の日に(5日目)次の3人の方を指名します。」

 という書き出しで始まる、友人の感謝のメッセージを読ませていただいた。最初は5日も連続で書くのは大変だろうなぁと思ったし、書き終えて新たな3人を指名するところなど、チェーンレターのようで少し怖さも感じていた。

 家族への感謝から始まった友人の文章は、素直でストレートで、すっと気持ちの中に入ってきた。音楽との出会いの感謝、友人への感謝、仕事での感謝、両親への感謝。読み終えての感動は勿論だが、自分は家族に、友人にどんな感謝の思いを抱いているだろうと、静かに考えさせられるいいきっかけになった。

 「ありがとう」といつでも口に出して言える自分でありたいと思っている。ありがとうと言える環境にあることを感謝したいとも思っている。が、心のどこかに、ありがとうと言われることを待っている自分がいることにも気が付かされた。母を見送ってから一年、一人暮らしになった叔母は、迷走に迷走を重ね、その後始末に翻弄されている。良かれと思ってしたことも、言ったことも、時には曲げて受け取られ、気持ちがささくれるような言葉を投げつけられる。

 身内だからこその我儘であり、一人暮らしの緊張と、寂しさ、心細さの裏返しだと、そのつど自分をなだめるのだが、どうして叔母は、ありがとうと言えないのだろうといつもそこにたどり着く。たどり着くころには砂を噛んだようなじゃりじゃりとした気持ちになってしまう。

 まだまだ、修業が足りのだなぁと溜息をつく。落ち込んで寡黙になる私を、犬は敏感に察知して私の顔をなめたり悲鳴のような鳴き声をだす。いかん、いかん、犬だけではない、私をささえてくれている、私がありがとうと伝えたい人たちにも、同じような心配をかけてしまうのだと、我に返る。

 今一度、しっかり自覚をしよう。ありがとうと口にする自分でいよう。ありがとうと口に出せる環境にあることを感謝しよう。人には心で、愛犬にはジャーキーで。

共感の日_01



まっつぐ

  1. 2014/11/05(水) 09:00:00|
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まっつぐ_01 倉庫から運び込んだ荷物の中に大量のアルバムと写真があった。自分の成長の記録や、仕事での写真、ステージ写真や、写真館で撮った家族写真。数えたら大きな段ボールに十数箱もあった。

 自分のものだけでも相当量なのに、父や母のアルバム、子供たちが置いたままにしているアルバム、どこを探しても収納のスペースが無い。考えあぐねて、他の段ボールを開梱したら、額装した写真やパネルがさらにどっさり出現した。

 「男と女の間には深くて暗い川が・・・」という歌があったけれど、写真や本の間にも、深くて、暗い川が、いや沼がある。一度はまったら思い出の混沌に引き込まれて身動きどころか手も動かせなくなる。まっつぐこちらを見つめる自分の写真もある。これは仙台で暮らし始めて、最初の演奏会の時のものだ。

 この時の私は、見つめたかなり先の未来にどんな自分像を描いていたのだろう。

 ここから先も、こんな風にまっつぐ先を見て生きていけるだろうか。

 引っ越し荷物の運び込みから今日で一週間。「人生は思い通りにならないが、やったようにはなるものだ」と誰かが書いていたことを思いだした。



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