玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


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なみたき(涙の滝の国 その2)

  1. 2014/09/24(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
  3. | コメント:0
なみたき(涙の滝の国)_21 慰霊祭が無事終わった。ご参集の方々をお見送りする時、あるご夫妻が深々と頭を下げ「今日は、うちの子にも、涙の滝の国で新しいお友達が出来たんだと、思いました」とおっしゃって下さった。ご夫妻が大切に胸に抱えた遺影のわんこが、何頭ものわんことじゃれあいながら走る姿が私にも想像できた。

 開場の時からずっとすすり泣いておられた方もいる。花祭壇に写真やおやつをお供えして、遺影とも片時も離れたくない様子のご家族もいらした。我が子だけでなく、遺影の飾られた花の庭を一回りして手を合わせてくださる方もいた。収容先のセンターで、飼養デモンストレーター犬として活躍した何頭もの犬たちに手を合わせる動物管理センターの方々の姿も印象的だった。

 市長挨拶、なみたきの朗読、献花、黙とう、たったこれだけの慰霊祭だが、献花のあと、風も無いのに右に左にと大きく揺れるバルーンを見て、私たちの気持ちはあの子たちに届き、あの子たちが風船を揺らしているのだとさえ思えた。

 愛する家族を失った悲しみはいつまでも大きな痛みだと思う、が慰霊祭の会場で出会った幾つもの祈りの姿は無償の愛であり、強く美しかった。いい一日だった。運営スタッフは勿論だが、なみたきの作者にも、それを読み込んで曲を付けたピアニストにも、物語に合わせて花祭壇を作ってくれた花屋の社長にも、感謝の気持ちでいっぱいである。

なみたき(涙の滝の国_22 なみたき(涙の滝の国)_23

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なみたき(涙の滝の国)

  1. 2014/09/17(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
  3. | コメント:1
 亡くなった動物たちの魂はどこに行くのだろう。いずれいつか、私が旅立つ先に、動物たちもいてくれるのだろうか。それとも、私たちはもう二度と、愛しい、大切だったあの子たちと会えないのだろうか。12年間、一緒に暮らした猫を見送った時にも、震災で馬をなくした時にも、そんなことを考えた。

 考えたところでわかるものでもないのだが、いつも思い出す物語がある。獣医であり、作家でもある、悠崎 仁氏の書いた「涙の滝の国の物語」だ。

 彼の描く世界では、亡くなった動物たちがいつも私たちを感じ、私たちを見つめ、見守ってくれている、そして何時の日か遠い未来に、私たちはあの子たちと再び出会うことになる。

 動物愛護週間の期間に行われる、仙台市の動物慰霊祭で、その御霊にささげるお話として、「涙の滝の国の物語」なみたきを朗読させていただいたのはもう何年も前のことだ。その時は全文を、震災の年の再演には朗読用に書き換えたダイジェスト版を読ませていただいた。そして今年、再々演が決まり、朗読には新たな曲が付けられ、物語も改定版となる。

なみたき_01

 10人いれば10通り、100人いれば100通りもある悲しみのすべてを、この物語と慰霊祭が癒せるものではないかもしれないが、参列くださる方の悲しみに寄り添うことぐらいはできるに違いないと私たちは考える。祭壇のお花は何色にしようか、献花をいただくときにはどんな曲を弾こうか、毎年同じように見える慰霊祭も、少しずつ工夫が加えられ、居心地のいい空間づくりを目指している。

 あの子たちが幸せに暮らしているという「涙の滝の国」から、みんなの魂は慰霊祭の花の庭に遊びに帰って来てくれると信じて、様々な準備がすすめられている。お供えする犬猫用おやつも、フードもおもちゃも、ミルクも、準備万端。あっ馬たちの干し草も用意しなければ。



ごんさん

  1. 2014/09/10(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
  3. | コメント:0
 東京渋谷、桜ヶ丘。細い階段を上って、ビルの事務所のような扉の向こうが「ごんさん」と「東馬さん」が仕切るダーツバー。開店20年の記念ボトルが並ぶカウンターにはカラオケもなければBGMもない。深夜までダーツに興じる客と静かにグラスを傾ける客とが不思議なバランスを保つ、空間だ。

 役者を夢見た青年が、ある日、人に名を問われて、「役者としてはまだまだ、名無しの権兵衛ですよ」といったのが、愛称ごんさんの始まりだったという。20年売れない役者をやって、40歳になった時に二人は店を開いた。40歳だから、店の名前は「しじゅうから」。少し、なよめく東馬さんと、どすの利いたごんさんのデコボココンビ。あれは素だったのか、それも見事な演技だったのかはわからない。

 店には成功した役者仲間も、いまだ売れない役者たちも、顔を出した。余計なことは何一つ聞かず、だれをも特別扱いせず、顔見知りも、初めての人も、私のように仙台からたまにしか行けない者も、「おおいらっしゃい」で出迎え「またなぁ」と大きな声で送り出した。 

 そのごんさんに、喉頭がんが見つかり、手術を勧められた。が、声を失う治療のすべてを拒否して、店に立ち続けた。誰に聞かれても、誰に説得されても、「この店にいたいから」と、通るいい声で歌うように答えたそうだ。やがて誰も何も尋ねなくなり、ごんさんは飲み続け、笑い続け、痛々しいまでにいつも通りに店に立ち、そして逝った。

ごんさん_01 ダーツバーの奥に置かれた60歳のごんさんの遺影は穏やかにほほ笑んでいるが、並べておかれた二十歳(はたち)のごんさんは、そのまなざしに力があって、役者のにおいがする。あぁ、あの小さな店が、あの喧騒が、役者ごんさんたちのかけがえのない舞台だったのだろうか。だとすれば、彼は20年間、かぶき続け、命の終わりを舞台で迎えたことになる。

 お焼香をさせてもらい、ささかまを供え、手を合わせ、お別れが出来て気持ちも落ち着くはずなのに、ごんさんのまなざしが心に突き刺ささる。俺は俺の生きたいように生きただけ、と笑うに違いないごんさんの声も聞こえるようだ。潔すぎるその生きざまに、圧倒以外の何の言葉も見つからない。

 私ならどんな生き方を選択しただろう。少し濃い、東京滞在だった。













戌の神様

  1. 2014/09/03(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
  3. | コメント:0
 きっとあのお父さんも子供も、戌年でも亥年でもなければ戌年や亥年に近い年代でもないのだろう。そうでなければ間違うはずがない。少年は神妙な顔で父親の話を聞き、身長よりはるかに高い所に展示された十二神将を見上げていた。東日本大震災復興記念特別展「奈良・国宝室生寺の仏たち」での一コマである。

 おごそかさを感じさせる仏像のまわりは、声をひそめて拝観する人が多く博物館は室生寺であるかの静謐さをたたえていた。が、薬師如来に従う武神、十二神将の会場は動き回る人でごったがえしていた。何でも12体のうち2体は国立博物館にあり、今回のように12体そろうことは珍しいことなのだという。彫刻史上に名高いそれらの作品は、変化にとんだポーズや表情で、たまたま隣り合わせて立つ神像を見比べるだけでもわくわくする。

 頭髪に十二支獣の蛇が巻き付く巳神(ししん)は、額に手をかざして遠くを見る見張り番兵のようだし、頬杖をついて上を向き夢を見るような未神(びしん)は恋しき人を思う表情だ。何度ながめても見飽きない、何度か眺めていると、新しい発見が次々と出てくる、そんな神像だ。まずは自分の干支。それからゆっくりと家族や友人の干支を見て回る。

 そして人差し指で天を指し、その袖口は雷(いかづち)のようにフリルをつけた戌神(じゅつしん)を見ていた時の事だ、隣の像の前で父親が言う。亥(い)って書いてあるだろう、犬の神様だ。頭の上に犬がいる」いやいや違うってばお父さん、こっちが犬、ほらこっちの頭の中に秋田犬みたいなのがいるってば、とつっこみを入れたくなった。もう心の中の声は止まらない。

 会場を出てからもあの親子のことが気になって仕方ない。他の像の前ではどんな解説をお子に聞かせたのだろう。一生懸命な父親と神妙な子供がなんだかとても愛おしく思えてきた。それ違います、などと無粋なことを言ってはいけない。お父さんの一生懸命の解説は残念ながらまだ小さな男の子の記憶には残らないだろう、けれども解説のできるかっこいい父親は子供の記憶に残るに違いない。あの男の子はいつか室生寺を訪ねることがあるだろうか、もしあるとすれば、戌神の前に立って、父親を誇らしく思い出すに違いない。暑さも混雑も忘れ、自分が連綿と続く、壮大なドラマの中で生きているような不思議な感覚を味わった。

戌の神様_01



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