玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


春が来る

  1. 2014/01/29(水) 09:00:00|
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 先週、今週と東北大学付属病院、整形外科で検査を受けた。2011年7月の貰い事故による後遺症状がいまだ終息せず、手指に痛みや痙攣があるからだ。

 もうあきらめなければならないのか、何か治療法があるものなのか、検討したいと思いながら、震災後の家の建て替えや、母の体調不良や、葬儀と、次から次への大仕事が続き、なかなか検査の機会も作れずに時を過ごした。

そうこうしているうちに、主治医からは症状固定で治療打ち切り、と言われ保険会社からは示談をとせかされた。

 筋電図室で神経伝達速度を測る検査をうけた。すごい検査機器があるものだと感心もしたが、問診では手指を筆や羽ペンで撫でたり、針金でつついたり、手を握り返せとか指をぐーちょきぱーにしてみたり、実に原始的な方法で対照的だった。

 そして結論。全ての症状と交通事故の因果関係は説明できず、まぁ微妙な動きや演奏のレベルはともかく、指が曲がらぬわけでもなし、手も動くのだからと、これまでの病院同様に軽くいなされてしまった。

 終わったと思った。大学病院がこれ以上を望むならと名を挙げた某大学の手外科に行ったとしても、動かすことで演奏をしようとする私と、動かす事に主眼を置く、医師との齟齬は埋まらないだろう。

 今日は雲の切れ間から何度もお日様が顔を出した。まもなく、春のような温かさではなく、本当の春が光の玉になって私にも降り注ぐに違いない。書を捨てて街に、いや、病院を捨てて光の中に歩み出そう。

 2014年あと数日で2月という今日、留守番の犬に陽射しが光のベルトをプレゼントしていた。もうすぐ春が来る。

春が来る01



先入観念

  1. 2014/01/22(水) 09:00:00|
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 交通事故の後遺症認定のための検査を受けることになり、東北大学病院に行った。混むだろうと予測はした。待ち時間の長さを想像して本も持ち、コーヒーを入れたポットもカバンに入れた。

 待合室で拍子抜けした。座れるはずなど無いと思っていた座席はゆうゆうだし、初診申し込みの用紙の置かれた所には専属のボランティアがいて、懇切丁寧に説明をしてくれ、手続きが実に簡単だ。名前を呼ばれて立ち上がると、いきなり説明ではなく「本日はありがとう云々」と受診の御礼を言われた。驚いた。今から20年も前、父の入院検査に付き添って、右往左往した時とは雲泥の差だ。

 検査もスムーズ、支払いも合理的、ほぼ予想の半分の時間で全てが終わった。本を読むどころかコーヒーを飲む暇さえなかった。こんなに身体に負担なく検査が受けられるなら、母も一度連れてきてやればよかったと、大病院での検査を望んでいた母を思って、今さらながら悔やまれた。

 ここ数日、先入観念は時に判断を誤る、と思うことが続いた。乗馬クラブから「持ち馬」にしないかとまで勧められていた愛馬が引退することになったと知らされた。つい数週間前までは、19歳ではあるが、まだまだこの子は走れると言われていたし、騎乗すれば、他のどの馬より揺れが大きく、鞍上の私は風を切って跳んでいるような心地よさだった。まだ、そんな年ではない、まだまだ大丈夫と思っていた馬は、小さなひずめの傷が癒えずに引退になった。

先入観念01

 もうひとつ先入観念を覆される経験をした。満腔の信頼を置く動物病院のご長寿表彰に参加させていただいた。大型犬、小型犬それぞれの寿命と老後の姿は想像に難くないし、長生きは個体差も大きく、一個人病院に、表彰会を開くほどご長寿さんが居るとも思えなかった。表彰式の後の記念講演を頼まれたものの、ご長寿さんが来られるわけもないとタカをくくっていた、ところがである。14歳のゴールデンレトリバー、18歳を超えるチワワやポメラニアン、22歳の猫、などなど驚くほど沢山の参加者が居るのである。もちろん、「治療ではなく動物にも健康管理を!」と言い続けてきた院長と獣医師、看護師の日頃の努力の成果なのだろう。ご長寿会の帰り際、飼い主のどなたもが、来年も来ます!とおっしゃる。介護の大変さは人も老犬も変わらないにも関わらず、表彰を喜ぶ家族の愛情の深さに頭が下がった。また来年も会いたいと心底思った。


 人も動物も社会も変化の繰り返しである。見極めようと強く思った。



パワフル

  1. 2014/01/15(水) 09:00:00|
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 昨年末、仙台市の動物管理センターを訪問した際にはまだかなりの頭数だった猫が今日は随分と減っていた。いつもはワンワンけたたましい犬舎もがらがらである。この勢いで次の譲渡会で幸せをつかむわんにゃんが増え、センターが、がら空きとなってくれることを祈りながら支援物資を置いてきた。

 がらがらといっても、噛み犬たちはまだ譲渡会に出ることも出来ずにセンターにいる。年末に市内の動物病院の前に捨てられていた老ダックスはコートを着ていても寒そうだし、元気過ぎて持てあまされたのだろうかと思うニューフェイスもいる。ごんたもその一人(一頭)だ。

 ボランティアさんに運動場に出してもらっているその子に声をかけたら、いきなり飛びかかられた。挨拶のつもりらしい。あらかじめ性格の良さや噛まないことを知らされていたから驚きはしないが、ごんた!と呼んでも、坐れと号令をかけても全く言うことを聞いてくれない。


 しつけゼロ。ひっぱり放題、飛びつき放題である。しかも若い、エネルギーの塊、パワフルの上に超がつく。ボランティアさんはふりまわっされっぱなしだ。獣医師がごんたに目を細めながら「すごくおりこうじゃなくていいから、ほんの少し人の話が聞ける子に躾けてもらえば良かったねぇ~」と声をかける。救いは人懐っこいこと。ここからごんたの社会化が始まる。座れるようになるのはいつだろう。マテができるのはいつだろう。アイコンタクトが取れて飼い主に従うことを覚えるのにどれくらい時間がかかるのだろう。

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 きっとかなり遠い道のりに違いない。が、そのパワフルさが妙に小気味いい。
 瞳にも力がある。頑張ろう。昨年末、ついに家庭犬の幸せをゲットした激ヤセアリーナに続くのは野生児ごんただ。という気持ちにさせられた。

 震災からまもなく三年になろうとする今も、変わらず物心両面でチーム富士丸仙台窓口をささえてくださる皆さんに感謝しながら、今年の活動はパワフルなスタートになった。


龍のお話

  1. 2014/01/08(水) 09:00:00|
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 不思議なご縁でメイルのやり取りをさせていただいているお医者様がいる。
救急救命医をなさるその方のお話を伺う度、お人柄と真直ぐな生き方が伝わり、私は患者ではないのだけれど頭を下げたくなるような気持になってくる。

 私の母も長いこと病院のお世話になった。どの先生にも良くしていただいたが、救急車で運ばれたあの日曜日、休日当番医がその先生であったら母の不安はどんなにか和らげられただろうと、今でも思う。

 いやいや、思っても仕方の無いこと。人には全て運命があり、巡り合わせがあるのだから、と自分に言い聞かせていたつい先日、その先生の母上が思いもかけぬ交通事故で亡くなられた事を知らされた。

 その悲しみ、その痛み、その怒り、想像に余りある。ただただ、その先生の悲しみが癒えることを祈るばかりだった。

 その先生の所に一枚の葉書が届いた。亡くなった母上が最後の旅行先、ブータンから投函したもので、ご家族がそれを手にしたのはおかぁ様が亡くなってしばらくしてからのことだ。葉書の遅れは単に郵便事情の悪さゆえなのだろうが、あっ時空を超えておかぁ様が思いを伝えにいらしたのだと私には思えた。

と同時に、震災後の11月に来日して被災地の子供達を励ましたブータンのワンチュク国王を思い浮かべた。国王は小学生たちにブータンに伝わる龍の話しをした。「龍は私たちみんなの心の中にいて、経験を食べて成長します。だから私たちは日増しに強くなってゆくのです・・・」と。

 私の心の中の龍は、今、何をしているのだろう。寝ているのだろうか。起きているのだろうか。やり場のない怒りに打ちのめされているのだろうか。見誤ってはいけない。経験を糧にしなければいけない。悲しみをこそ呑みこまなければいけない。私はお医者様のように人の命は救えないが、まだまだ何かで出来ることがあるはずだ。強くなろう。強くなろう。しっかりと強くなろう。どこかで「もう充分ですってば!」という声も聞こえなくはないが、まずはもう少し強くなろう、とあらためて思った。
 今日は母の百ケ日である。

龍のお話



馬九行く(うまくいく)

  1. 2014/01/01(水) 09:00:00|
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 昨年後半は物忘れが多かった。母の介護にも随分と手も要り、気力も体力も限界を超えていた。だからと言って許されるわけではないのだか、うっかりミスが増えていた。そして母を見送り葬儀やその後始末に忙殺されたここ数カ月、物忘れは度を越していた。

 毎日毎日一生懸命生きて、母に心を寄せてくださったどなたにも失礼のないようにと御礼状も書くのだが、投函したとたんに全てが判らなくなり、記憶にぽかりと穴があいた。御礼状ですらそうなのだから、雑多な書類にいたってはもうどうにもならない。支払いをしたかどうか、返事をしたかどうか、何も思い出せない日々が続いていた。それだけ悲しかったのだと思う。記憶があやふやになるくらい、オーバーワークだったのだと思う。

 今も、お香典返しを送り忘れていやしないか、年賀欠礼のご挨拶をし忘れていないか、と不安になる。もちろん何かの申し込み期限や、書き換えや、あとで電話するなどといってそのままになっているカラ約束もいっぱいあるに違いない。もっとも、ここ半年は大目にみてもらえるかもしれないし、慌ただしさに取り紛れてというお詫びも通じるかもしれないが、こんなことがいつまでも許されるわけがない。なんとか社会復帰をしなければ、と対策を考えた。

 手帳は開かなければ意味がない。メモ用紙もそれ自体を無くしては、元も子もない。
 私も、そして私を温かく見守って下さる皆さまも、うまくいく年になりますように。

 そこでパソコンの横に、新たなメモボードをしつらえた。細くて長くてどっしりとした恰好の板は茶道の師範の看板だ。大小のメモ用紙や要返信の封筒をメンディグテープでべたべたと貼りつけた。これで書類の迷子も、うっかり忘れも防げるに違いない。いや防がなければ。

 心の中では呪文のように呟いている「去年はごめんなさい、今年は頑張ります」うまくいくといいなぁ。他力本願の最たるものだとは思いつつ、馬九頭が描かれたコーヒーカップを買った。馬が九頭で、馬(うま)九(く)いくのゲン担ぎだという。馬の箸置きも買った。午年元旦、使いそめである。



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