玉能回路

週刊「玉能回路」は毎週水曜日更新です。


馬耳東風(うまのみみにはるのかぜ)

  1. 2013/03/27(水) 09:00:00|
  2. 週刊「玉能回路」
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 震災のあと、父方の実家から度々宅急便が届くようになった。はじめは物資不足を案じての品々だったが、やがて新茶だったり、四国の知り合いから貰ったという金時芋だったり、お友達の庭に実ったレモンだとか、季節感あふれる贈り物が届くようになった。が、ある時、レモンと一緒に馬の絵柄の食器が何点か送られてきた。

 見るとそれはかの名馬、シンボリルドルフが有馬記念を制した時の記念の皿だったり、三冠馬になれた時の名入りのコーヒーカップだったり、シンボリ牧場の60周年を祝うデザートボウルだったりする。父は馬が好きだったのだろうか、いや、それとも競馬に夢中になるギャンブラーだったのだろうか。早くに父と別れ、付き合いらしい付き合いをせずに育った娘の想像、妄想は膨らむばかりである。

 御礼状に返事が来て、そんなに馬が好きならまた送ると書いてある。大皿もあれば、馬蹄型の鏡もあるのだという。ますます不思議に思い、電話をかけてみることにした。牧場主とご縁があったことや、医者だった父が薬学の知識で馬のためのハーブや漢方の相談を受けていたという事もその時はじめてわかった。そして博打はからきしだめだった事に安堵もした。

 父の年忌法要のとき、お集まりくださった縁(ゆかり)の方々から、私の姿かたち、筆跡までもが良く似ていると、驚かれたことがあった。方々の言うようにこれが血だとすれば、馬好きも頷けるし、博打どころか、クジ運の無さも頷ける。

 白地の陶器に落ち着いた緑色で描かれた様々な肢体のシンボリルドルフ。風になびくたてがみ。軽やかな歩様(ほよう)。嘶(いなな)くかの口元。一枚一枚違う柄で描かれたカップや皿を見ながら、父を思う。得意げに闊歩するシンボリルドルフを見ながら父は何を思っていたのだろう。祝賀会の賑やかな様子も、この記念の器をお土産に持たされて、「重いなぁ」と言ったという父の声までもが聞こえるようだ。

 期せずして馬に乗るようになった娘を見たら、父は何と言うだろう。馬上で一人ごちる私にも愛馬にも、ここちよい東風(はるのかぜ)が吹きはじめた。


幸せます

  1. 2013/03/20(水) 09:00:00|
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 「富士丸」という実に美しく、りりしく賢く、愛おしい犬がいて、飼い主である穴澤賢氏の軽妙洒脱な文章とナイスシャッターで紹介されるブログが大好きで、読めば和んだり、笑ったり。読むだけで富士丸と一緒に山や川に出かけた気になれて、読むたびに富士丸の手触りや表情を直に感じ取れたような気がしていた。富士丸がこの世の犬で無くなった今も、存在感があり、その息遣いが聞こえるような気がするのは、丸の人徳、いや犬徳ゆえの事だろう。

 その富士丸の名を冠してはじまった、被災動物救済活動 「チーム富士丸」。東日本大震災の地震と津波で飼い主とはぐれたり、怪我して保護された動物達に手を差し伸べようという支援活動だ。物不足にあえいだ被災地は、ご飯もケージも首輪もリードもトイレシートも猫砂も、何もかにもが有り難く、拝むような気持で宅配便を受け取り、避難所へと運んだ。

 あれから2年。被災地は想像を絶するようなことが、何やかやあった。スムーズに進むことよりスムーズにいかないことの方が多かった気がする。そんな中でチーム富士丸の支援活動が順調かつ効果的に継続できたのは、奇跡に近いとさえ今は思う。すべての責任は自分が負うからと最初に言いきった穴澤賢の男義と、几帳面で頼もしいスタッフが、大雑把で勢い余る私を支えてくれた。何より保護された生きものたちの食いっぷりが、継続への後押しだったと思う。

 今、私たち「チーム富士丸仙台窓口」が、大切に、かつ厳重に保管しているのは、これまで支援物資を送り続けて下さった方々の宅配便の伝票、現金封筒やレターパック、物資に添えられたお手紙やメモである。匿名希望の方や、ご住所を伏せられた方にはお礼状も出しかねたし、震災2年の節目の日に頂いた感謝状のことをお知らせする手立てもない。チーム全員で頂く事になった「感謝状」をなんとかブログを通して見てもらえるといいのだが。

幸せます

 感謝状を手にした時、山口県から富士丸ごはんを送ってくださった方の手紙を思い出した。手紙はこんな言葉で結ばれている。「それでは皆様にも宜しくお伝えいただけたら幸せます」カッコ書きで、幸せますは山口の方言で嬉しいの意味だと書き添えられていた。この感謝状、900名を超えるチームのみんなに見ていただけたら何より何より「幸せます」。もちろん犬徳高き富士丸にもである。




決意の日

  1. 2013/03/13(水) 09:00:00|
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決意の日 場所は仙台市動物管理センターのホワイエ。2年前、失踪犬猫情報を書きだした模造紙が、何枚も何枚も貼られていた壁面に、今は亡き沢山の動物の写真が貼られ、フードやおやつや、真新しい、「かしゃかしゃぶんぶん」などの猫おもちゃも供えられている。被災動物追悼と感謝の会の会場である。

 手に手に花を持った方々が集まってくる。愛犬、愛猫の遺影を抱えている人もいる。
「お花を供えてもいいですか」と声をかけられ振り返った時、おたくは見つかったんですか?わんちゃんですか?ねこちゃんですか?と畳みかけるように尋ねられ、返答につまった。

 津波のあと、しばらく立ち入りが制限された浸水地域では、人や車が通れるまで一週間もかかった。その時、倒れた電柱をどかし、瓦礫を片付けてくれた方々は傷ついた泥だらけの動物を、管理センターまで運んでくださった。が、助からなかった犬や猫は瓦礫とともに処分されたのだという。せめて綺麗な体にしてやりたかったと、花を供えた人が言った。胸が詰まった。

 あの震災の日からセンターに収容された動物は1,251頭、そのうち610頭は飼い主のもとに戻り、560頭は新しい家族に迎えられた。被災動物救護対策本部の方はもちろん、この2年間様々な形で救護のために協力と支援をしてくれた多くの人のお蔭である。

 収容中に亡くなってしまった子。新しい家族のもとで幸せを手に入れた子。せっかく幸せを手に入れたのもつかの間、短い生涯を閉じてしまった子。一頭、一頭、様々なドラマがある。旅立って行った子達の瞳に私たち飼い主やボランティアはどう映っていたのだろう。

 震災から丸二年が過ぎ、いよいよ3年目の一日一日がはじまった。震災2世や3世の今後ももちろんだが、動物と暮らすということは命の預かり手になる事だと、地道に地道に伝えて行く使命と決意を新たにした慰霊の日であった。


雛まつり

  1. 2013/03/06(水) 09:00:00|
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雛まつり_1  仙台市内を中心に31の会場で行われている「うれしたのし蔵deひなまつり」が今年で9回目になった。美術館や博物館、お寺の庭園など大きな施設も参画しているが、古い蔵や、個人商店もある。なかには農家レストランや障害を持つ方の授産施設でもこの期間限定の雛膳やお菓子を提供している。
 
 展示されるお雛様は大きさも、時代も実にさまざまである。江戸時代の享保雛や古今雛もあれば、昭和らしい7段飾りもある。つるし雛や折り紙のお雛様を飾る所もあるが、手作りのワークショップも開かれており、旧奥州街道のあちらこちらを、一軒、また一軒とマップ片手に散策する人が年々増えているように見受けられる。


雛まつり_3 懇意にする呉服屋さんで、煎茶のお茶席をお手伝いさせていただいて今年で4回目になる。すぐ近くの造り酒屋さんの白酒とここのお茶席はまったくの無料。伊達藩お譜代町、荒町商人の心粋(こころいき)なのだそうだ。

 まだまだ風の冷たい中、呉服店にたどり着いた方々の表情は寒さでこわばっている。椅子席とはいえお茶席に座ったばかりの方々も緊張のせいか無言である。それがひな人形やぼんぼりの形のお干菓子に目を細め、とろける甘さについ微笑み、小さな茶碗の煎茶を口に含んで「わぁおいしい」と歓声をあげて下さる。準備の大変さも、お手前の難しさも、全てが報われる瞬間である。




雛まつり_2 震災からまもなく2年。人々が失ったものはあまりに大きく、掛け替えのないものの代わりなど見つかろうはずもないけれど、ふうわりと開いた桃の花が目に明るく、手のひらに乗る小さな茶碗が温かく、喉をすべる緑茶がとろりと優しければ、ひと時、ほんのひと時、心は痛みを忘れるに違いない。

 重たい腰をあげ、北風にあおられながら歩いてたどり着いた先での一服のお茶。去年の美味しさがわすれられず、今年も来たと仰る方がいた。まだ仮設(住宅)ですけどと言いながら、微笑んだお顔がお雛様のように優しかった。






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